笑点、じゃなくて焦点
間のいい人、悪い人って、いるなあと考えた。
でも、それって本人の資質ではないような気もする。
場の「ピント」の問題だろうという気がするのです。
大学のとき、やたらと遅刻する人が多かった講義があるんですね。
ぱらぱらと遅れて入ってくる。
大学生ってそんなもんだろうと思うんだけれど、ある日教授が怒り出してしまった。
その怒り方が白洲次郎的で(白洲次郎がそういう怒り方をした、ということではなくて、NHKドラマで以前、ある俳優さんが演じていた「白洲次郎」に似ていたわけです。"Shame yourself !!"って叫ぶ感じで、眼光鋭く)、我々大学生なのに、ちょっと情けない叱られ方をしていた。
遅れて入った人たちが前に並ばされたりして。
やっと解放されて、皆が席に着いたときに、またガラガラ~っと扉が開いて、男子学生が入ってきた。
「なんで遅れた!!」と問われて、彼は3秒くらい考えてから、こう答えたんですね。
「電車が遅れたので・・・」
ウソつけ~という無言の叫びがこだましたと思う。
「・・・そうか」と教授はあっさりその人を席に着かせた。
これが場の「ピント」なんだろうな、と思うわけです。
「遅れた人を怒る(まあしかたないよね)」から「そろそろ講義をはじめようぜ」に焦点があった。
ピントで面白いのは、一度焦点があうと、他には目がいかなくなる。
その場に何人いても、ですよ。
場のピントがきゅうっと1点に絞られるときと、ばらばらっとするときと、あるのだろうと思うのです。
今どんなところに焦点があてられていて、逆にそれ以外のところには何があるのか、というようなものの見方もあると思うのです。