人が見たらキャーってなる
人が持ってきたお弁当って、気になりますよね。
じっくり見せてもらいたい。
食べたいわけではなくて、自分の家とは似て非なるおかずのたたずまいに興味があるのです。
たとえば、子どものころ、ご近所の奥さんがひじきをわけてくれた。
そのひじきが手間ひまかけた、こってり豪華版で、私は肉の入っているひじきを初めて見た。
ひじきなるものは、大豆と油揚げの細かいのが入っていて、にんじんが辛うじて色どりになっていて、地味だけれどなんとなく「体にいいものだから食べなさい」みたいな存在感がある。
こちらはこちらでもっと派手なものが食べたいから、なるべくテーブルのあちら側に追放しておくもの、というイメージがくつがえされたわけです。
そこで、お弁当ですね。
人のお弁当は見たいが、自分のはお見せしたくない。
自分のだから何でもいいや、というので、ご飯をぎゅうぎゅういれて、おかずをねじ込んでおく。
いれものはジップロックのタッパーだし、女子力なるものでいったら、氷点下何度という感じ。
文句あるか。
しかし、母が自分に作っていたお弁当よりはこれでもマシなのである。
母は毎日、職場にお弁当を持って行っていたんだけれど、それは地味をはるかに超えた破天荒なものであった。
「とってもおいしいんだよ。毎日お弁当お弁当、って楽しみなんだから」
と言っていたが、われわれ家族は見たのである。
母が焼きサンマの背骨を素手で折り曲げてお弁当に詰め込むのを。
ふたを開けたら、サンマが恨みを込めて立ち上がりそうでしょ。
ポーの小説で、木箱をあけたら中の死体がゆっくりと立ち上がって、「お前が犯人だ」という話があるんですが、それを思い出す。
母の事だからべつに隠しもしないで人目にさらして食べていたんだろうが、職場のみなさんは毎日注視していたのではないだろうか。
私のお弁当を見たらなんと思うのだろう。
「ほう、つつがなく二代目ですね」なんて。