彼は時代を先取りしていたかもしれない
普段、電車のなかで無数の他人とあっているわけですが、おのおのの活動にいそしんでいて、コミュニケーションをかわす、というまではいかない。
立ちながらマニュキュアを塗り、乾かすために手を振りながら、「危ないんでこっちにこないでください」と指示する女の子がいる。
通勤電車で手の甲を脱毛器でケアしていた女の子を見た、とショックを受けていた上司がいる。
フルメイクをはじめる年季の入った女性。なにしろこの人は「乳液」から塗りはじめたのである。
ドラマチックな光景が繰り広げられる車内で、うちの妹が昔、こんな体験をした。
座席ちかくに立っていると、近くの男の人がしきりに自分の携帯画面を妹に見せてくる。
知らない人ですよ。
絶対、卑猥なる画像を見せてきている変な人だ、と思いますよね。
嫌だな、と思っているうちに、視界に入るその人の携帯画面が画像ではないらしいことに気がついた。
でか文字モードかなんかで、何か書いてある。
つい読んでみると、「後ろのおじさんがくすぐったそうです」とある。
え?と思って振り返ると、ちょうど後ろに座っているおじさんの、すべすべした頭頂部に、妹のフードのファーがさわさわと触れていた、という話。
もう10年くらい前の話なのだが、不思議とこの話が忘れられない。
全方位的な気遣いといい、テキストで間接的に伝達することといい、少しの気持ちの悪さといい、なんというか大げさに言えば、このSNS時代のコミュニケーションを先取りしていた、という感じもするのですよ。