未かいけつ発見ねっと

「未かいけつ」とは、解決しなくていいこと。当たり前と思っていたら人と違ってあらびっくり、だったり、思わぬ人のこだわりが面白かったり。日々発見するがままに書きました。あなたのこだわりも、ぜひ教えてくださいね。

ことほどさように、おトイレ事情

私は趣味で写真の教室に通っている。

 

参加者の構成は、老>若、男≒女、酒飲み>酒飲まず、というところだろうか。

 

撮っている写真は人さまざま、おのおのの持ち味を活かして楽しんでいる。

 

教室では3カ月に1回、ギャラリーで展示会をする。

 

これが忙しい展示会だと、設営、設営の打ち上げ、オープニングパーティー、撤収、撤収の打ち上げ、と連日慌ただしい。

 

なにしろ、酒飲み>酒飲まずだから、オープニングパーティーでもワイン、日本酒、焼酎、ビールと頂き物もあり百花繚乱という感じ。

 

あるとき、オープニングパーティーで、誰かの知り合いと隣り合わせになって話をしていた。

 

「私も写真をやっているんですよ」とその男性。

 

「どのような写真を撮られますか?」と聞くと、ヨーロッパの都市と言われる。

 

「アジアとかは?」と尋ねると、「アジアとかそういうとこ、イヤイヤ!」みたいなことをおっしゃる。

 

こういう人もいるのね。

  

なぜにヨーロッパがお好きか?と聞くと、写真以前の好みに関係していることを話してくださった。

 

「水洗トイレでウオッシュレットが使える状況にあるところ」が彼の選定ポイントであった。

 

言っておくが、たぶん50代以上の男性ですよ。

 

このこだわりポイントは意外で面白く、根掘り葉掘り聞いてしまった。

 

 彼曰く、「マイウオッシュレット(ハンディなんとかというそう)を持参し、なおかつ水洗トイレでそれをちゃんと使えないと気持ちよく過ごせない=写真撮るどころではない」と。

 

だから多種類のマイウオッシュレットを試したそう。

 

「電池のだと途中で切れたりしそうですよね」

 

「そうそう、替えの電池で荷物が重くなるのもイヤだし」

 

これはわかる。写真を外国に撮りに行くとなると、カメラ、レンズ何種類か、バッテリー、予備バッテリー、三脚、雨対策もしなきゃ、と荷物はどんどん増えていくだろう。

 

「原点に返るのが一番いいんですよ。手動のね、なんというかペットボトルみたいのにつけて、手でしゅこしゅこできるのが、一番おすすめ!」

 

普段から持ち歩いているんですか?という質問はがまんした。

 

実演してもらえませんか?という希望ももちろん口に出さなかった。

 

ヨーロッパによく行くということであるから、「あの、ビデっていうのはどうなんでしょう」と言うと、「うーん、ビデに関してはよくわからない。でもあれですよ、やっぱりその場でマイウオッシュですよ」とおっしゃる。

 

写真の話はそっちのけであった。

 

というわけで、マイウオッシュにこだわるムッシューの写真展が、新橋の「ギャラリーてん」で開催されているので、覗いてみてください。

 

このブログを読んだ方は、きっと写真を見る目も違ってくるはず。

 

「あら、今度はブカレストで洗ったのね」なんて。

 

www.gallery-ten.tokyo

 

 

なぜかそうなっちゃう

私はもともと、たいへんぶきっちょであり、そのうえ音痴・運動音痴・方向音痴の三種をそろえている。

 

だが、自分が不得手なことに限って、心の中では「あの人よりはマシだ」と心を慰めていることも事実である。

 

こういう心の働きは、誰しもあるものではないだろうか。

 

運動神経のないお笑いのひとを集めた番組が人気があるのも、このような心理と関係があるような気がする。

 

まあ、私にとってはあの番組はぜんぜん面白くなくて、というのも、彼らと同じような不体裁を今まで人目にさらしてきたのではないかと思うからである。

 

ようするに、「同じくらい下手な人」ではなぐさめにならないわけですね。

 

ただ、音痴についてはいつまでも忘れられないできごとがある。

 

通っていた中学は、全校生徒で合唱することに力をいれていた。

 

合唱はあまりにスパルタ式に指導されるといやなものだろうが、単純にみんなで大きな声で歌う式だと、気持ちのいいものである。

 

私たちの学年の卒業式の日に、卒業生・在校生がそろって『贈る言葉』を歌った。

 

武田鉄矢が歌っていた、あの歌である。

 

おじさんの先生の好みのまんま選曲したんだろう、と今になっては思うが、情緒があっていい歌である。

 

 歌のなかで「贈る言葉」と歌詞が繰り返されるのを知っているでしょう、みなさん。

 

あの聞かせどころの入りを、一拍はやく歌ってしまう人がいたのである。

 

それも、リフレインふくめて全部である。

 

1か月後に、卒業生全員に「思い出の合唱~卒業によせて~」というCDが学校から届いた。

 

最初から最後まで、サビで一拍はやくがなっている声が収録された『贈る言葉』を聞いて、家族全員、笑いくずれて立っていられなかったほどである。

 

だれも欲しがらなかった指輪の話

私は、不思議ないわれの指輪を長年もっていて、それをどうすればいいのかわからないのです。

 

 

別居していた父が亡くなったあとに、母がその指輪を前に話してくれました。

 

私たち三姉妹が初めて聞く話。

 

「お父さんがお母さんにくれた指輪でしょ。お母さんが持ってたら?」

 

だれかこの指輪ほしかったら、あげるよ、という母にそう答えたら、意外なことを言いだしたのです。

 

「だって、お父さんがお母さんにくれたものじゃないもの」

 

結婚前に好きだった女のひとにあげようとしたら断られたんだ、と父が言っていたそうです。

 

お年ごろだった私たちはいっせいにぴちぴちと反応しましたね。

 

「そんなことまでお母さんに話してたの?」

「あれだよ、お父さんって不器用だから・・・」

「2回目くらいのデートでスチャっと指輪を出しちゃって・・・」

「・・・『いただけません』とかってドン引きされたんでしょ」

 

 わあわあ好き放題いったあと、やっぱりだれも欲しがらなかったのです。

 

では私がお預かりいたしましょう、というわけで手元にある指輪。

 

父なりに吟味したであろう、パールが1粒ついているかわいらしい指輪です。

 

49歳になるまで生きた父のことを考えると、あまりに早く過ぎた1日のおわりの夕焼けのイメージが重なるのです。

 

さて、「我こそがその指輪を継ぐものなり」というかた、いらしたらお気軽にお知らせください。

 

私たちは私たちで楽しく話そうではありませんか。

 

どこに行ってしまったの?

そのおじさんはバレバレのかつらをつけていた。

 

おじさんは、地下鉄丸ノ内線 本郷三丁目駅徒歩5分の場所で、奥さんと一緒に小さなダイニングカフェを開いていた。

 

というと、おじさんが店主であるかのようだが、それは違う。

 

おじさんの役割は、読んでもらうと分かると思う。

 

滋味あふれる料理とふくよかな味のケーキは、すべて奥さんが手作りしていた。

 

おじさんは注文とりとお運びが担当であった。

 

 誰かを店につれていくときは、まえもって「おじさんがかつらだからね」と言っておくのに、店に入った友だちは、おじさんを見るなり目を輝かせるのである。

 

おじさんはそのうえ、忘れんぼであった。

 

食後の平和を楽しんでいるお客に、「私なにかご注文ほかに聞いてましたっけ?」などと突然たずねる、なんてことをしていた。

 

おじさんのアイディアがメニューに反映されていなかったわけではない。

 

じっくり煮込んだカレーと、甘すぎない絶妙なハヤシを半分ずつ皿に盛った『ハーフ&ハーフ』はおじさんの考案によるものだった。

 

べつにけちをつける気はないが、まあ、安直な発想ではある。

 

おじさんはときどき、お使いにだされていた。

 

カルピスバター?そういえばわかるのか?」などと騒がしく店をでていくのである。

 

 おじさんよ。

 

ポットでたっぷり供される紅茶がおいしかったあの店で、実にあんまりおいしくなかったコーヒーは、おじさんのこだわりで淹れていたことがわかったとき、われわれ常連客はみな、「なるほど!」と膝を打ったものである。

 

おじさんよ。

 

急に閉店してしまってから、何年たつだろうか。

 

私はおじさんが懐かしくてたまらん。

 

閉店の貼紙に、客が三々五々、メッセージを書き残したことを知っているだろうか。

 

おじさんよ。

 

どうかどこかで、奥さんと店を開いていてほしい。

 

どこかの街で、ふと入った店がおじさんの店であることを、いまだに願っている。

 

見る映画、見ない映画、どこで決める?

数年前のことです。

当時勤めていた会社の飲み会で、目の前に座っていた部長がため息をつきながら言いました。

 

「映画を見に行くのが趣味なんだけれど、奥さんがいっしょに行ってくれないんだよね・・・」

 

「へ~何でですか?」

 

と聞くと、

 

「出てるキャストが気に入らないとかっていってさ・・・」

 

と答えるではありませんか。

 

「えっ、それ普通じゃないですか?私もそうですよ~。○○が出てたら見る気がしないとか、ありますもん」

 

と言うと、カシスソーダなんてかわいいものを飲んでいる部長の眼が鋭くなった。

 

「それが違うっていうの!映画っていうのは、役柄を見るものでしょ。フィクションを楽しむものでしょ。

おかしいでしょ、自分のイメージで『この人だから見たくない』とか言うのは」

 

「ん~それもそうなんでしょうけれど、例えば○○がサムライの役なんて、ちゃんちゃらおかしい、って気にもなりますよ。 

私なんて、○○が出てるせいで、『のぼうの城』見に行けなかったんだから!野村萬斎が主演だったから、見に行きたかったのに!」

 

ついつい、怒りをぶつけてしまった。

 

部長も一歩も譲らない。

 

「だけど、映画ってそういうものじゃないでしょ。

うちの奥さんもいくら言っても、そのあたりがわからないんだよね。

自分だったら、俳優の好き嫌いじゃなしに、映画自体が面白そうだったら見に行くよ」

 

おお~そうか。そう言われると、面白い映画を見逃しているような気にもなる。

だけど、やっぱり、 自分は気に入らないキャストの映画は見に行けないのであります!

 

周りにいた人たちに「気に入らないキャストだったら、見に行かないですよねえ?」と鼻息あらく聞いたところ、「ん~そうかな?あんまり気にしたことないかも・・・」なんてへなへなの返事しかなくて、気持ちがくしゃくしゃしてしまった。

 

この後の会話は、「部長は好きな女優さんっていますか?」

キム・ノヴァク!」「おお~ヒッチコックの『めまい』で、キム・ノヴァクが全編ノーブラって読んだことあるんですけど」「ホント?!」という具合に、平和裏に終わりました。

 

だけどいまだに、もやもやします。

見る映画、見ない映画、みなさんのこだわりを教えてくださいね。