ゴン フォックス
あるとき突然思い立ち、ラジオ英会話を聞きはじめた。
(今続けているかって? ははは)
日本の童話を英語で読む企画があったのです。
数日間かけて、初めから終わりまで英語でよみ、英語の言い回しを学ぶというもの。
ここで取り上げられたのが、「ごんぎつね」だった。
新美南吉の。
みなさんも知っているでしょう、あの悲しくも美しい物語を。
「ごんぎつね」ならぬ「ゴン フォックス」は英語で聞いていると、不思議な風味があった。
日本の昔話なのだけれど、もっと遠い、なんだかちょっと別の国の話のようで、良く知っている街なみをあるいているのだけれど、看板の文字が全然読めない旅のような感じがあった。
ラジオ英会話は、ネイティブの先生2人と、日本人の先生1人が軽妙にやりとりしながら進めていく。
「ゴン フォックス」も毎日つつがなく進行し、物語が終わる日になった。
英語で読んだって悲しい終わりに、しょんぼりしていると、ネイティブの先生の1人が明るい声でこう言ったんですね。
「だけどさあ(という感じで)、ゴンが死んだとか書いてないし、ヘイジュ―(兵十)と友達になるかもしれないよ!」
They will make friends!
とてものことに「もちろんさ!」と答えられる気分にはならなかったけれど、その後の「ゴン フォックス」の続きも気になるなあ。
雪女なんか訳したら、「今度は夏に会おうぜ!」とか言って終わりそうだなあ。
というのはともかくとして、するとかのラフカディオ・ハーン(小泉八雲)があれほどまでに日本の怪談を哀れにも美しく、幽気の立ち込めるがごとくに訳せたのはなんなのだろう、という気がする。
私もまた、海外の小説をそのように、手のひらで汲み取るように読んでいるだろうかと考えてしまう。